(世の中のほぼ)すべての物事は水に流されても良いのではないか。 [分類できません]
いろいろな偶然の結果として地球という星が出来て
更なる偶然の産物として様々な種類の生物が発生して
その一つの種類の生き物として人間が出来て、かなり時間が経った。
そうこうしているうちに国とか文化なんていう概念が出来て
またかなり時間が経って、ワタクシはその流れの中にたまたま揉まれて流されている。
周りにも、たくさんのものが一緒に流れている。
近づいたかと思うと、溶けてしまったり、消えてしまったりもする。
一人の人間の一生なんて、そんなうねりの一瞬のものなんだろう。
そんなことをたまたま考えたことがあったおかげで
何があってもあまり腹が立たなくなったような気がする。
腹を立てる、怒りの感情を燃やす、そんなエネルギーが無性にもったいないように思えて。
だって自分が今、生き物として動いてものを考えているということ自体が
何の理由もない偶然の産物でしかないんだもの。
美しい景色を眺めていると、ふとその偶然について考えてしまう。
そのうちに、どんなことであっても腹を立てたり悩むということが
かなり意味の無いことのように思えてくる。
楽しいこと、美しいことだけを考えて暮らしても、それはそれでいいことなんじゃないだろうか。
重苦しく気になることがあったとしても、
翌日にはすべて水に流してしまって良いのではないだろうか。
昨日までの出来事の、いいことだけを覚えておくぐらいでも
ちょうど良いのではないだろうか。
存在していることがもしかしたらこの星にとってあまり良くないことなのかもしれない、
そういう種類の生き物としてワタクシは存在している。そんな風に感じることがある。
出来るだけ、楽しいことを自分で生み出して
少しでも誰かとそれを分かち合っておこうと思う。
楽しいことを考えることに専念していると
もっと楽しいことが思い浮かぶようになってくる...ような気がする。
さて、お土産にもらったウィスキー飲んじゃおうかな。。
自分に厳しくある人は美しい。 [分類できません]
「まおちゃん、どうだったかな。。」
今日の午後、待ったなしの工事で顔まで真っ黒なのも気にせずがむしゃらに働いている人まで
そわそわと呟いてた。
こんなに誰からも愛されているスポーツ選手って、そうそう居ないんじゃないかな。
フィギュア・スケートなんて、全く興味がなかった。
「今回、○○がフリーで挑むのは『旅芸人の悲哀をどこまで表現できるか』です!」
そんな解説にひどく違和感を感じてしまう。それはスポーツなのか?
「最終戦の舞台、鈴鹿でシューマッハが挑むのは『旅芸人の悲哀をどこまで表現できるか』です」
そんなレースは、ない。
「100mに続いてカール・ルイスが200mでも『旅芸人の悲哀をどこまで表現できるか』に挑みます!」
そんな短距離走も、ない。
表現力がどうしたとか、完成度がどうだとか、個人的にはどうでもいい。
圧倒的な技術を持ちながら、今の場所に満足せず、さらに上を目指して
そんな無垢な向上心の塊のような姿を見ていたら、自然に応援してしまっていた。
オリンピックでこういう人を観ることができたのは幸せな体験だったな、と思う。
オリンピックだからこそ、彼女の示してくれたような純粋な人間の能力への挑戦を見たい。
素晴らしかったよ。
欲張らない。 [分類できません]
何かを掴み取ろうとすると、なかなかうまくいかなかったりする。
自分にできることを信じて、つとめて平静に、
ひっそり努力するくらいの方がいいのかもしれないな。
一番大事なのものは、もう近くにあったりする。
心に余裕を持つべし。自分に言いきかせてみる。
どれだけ立派なものを作り上げたって、主人が消えてしまったらただの廃墟だ。
あたりまえのことなんだけど、つい忘れて必死になってしまったりして。
自分が既に手に入れているものを、まず大事にしなきゃね。
無意味の意味。 [分類できません]
冗談を言う時には、自分は笑ってはいけない。
私の心の手帖に書いてある数少ないモットーの一つだ。
お笑い番組を見る気がしないのは、ほとんどの人がそれに反しているからだ。
一昨日から右隣にやってきた男性が、すさまじい大音響のいびきをかいている。
何かの冗談じゃないかという位に、地響きを立てて。
MGM映画のオープニングのライオンが入った檻がすぐ隣にあって、
血の滴る生肉がすぐ近くに置いてあるんじゃないかという感じだ。
もし私がプリムス・バラクーダのように無駄に排気量の大きな素敵な車で出掛ける機会があったら、
奥田民生の歌う "2 cars" を排気音に負けないくらいの音響で流しながら
高速道路を意味無く走ってみたい。
井上陽水との連名のアルバムに入っている曲だ。
意味無く走るという行為の無常感と、高速を車で駆け抜ける時の説明不能な快感とがこの曲の全てで、
それ以外に何の意味も無い。
何かの感動の欠片も無いし、あらためて考えさせられる鋭い指摘も無い。
何の意味も無いのに、それが人の心を揺さぶることがあるということを彼は良く知っているんだろう。素敵なことだ。
いびつな私。 [分類できません]
*英国 Cotswoldsにて 2006 夏
いろんなところが歪んでいるのは、自分でもわかっているつもりなので
少しでもきちんとしなきゃ、なんて思って暮らしているうちに
とてもきちんとした人間だと誤解されてしまうこともあって。
ありがたいことではあります。
よくみると、かなりテキトーです。
一部、崩れかけているところもあります(笑
滑らかに走りたい。 [分類できません]
今年はもみじが散るのが遅かったような気がする。
結局、紅葉をしみじみと眺めていたのは、仕事の時間だった。
ようやく冬到来、という感じなのだけれども、もうクリスマスだなんてね。
実感無し。
もう10日もしないうちに正月だって。
それでも、毎日オートバイに跨って職場に向かっていて
なんとなく思ったのは「慣性」についてだった。