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人との距離について。 [気になる光景]

数日前にこのブログを見に来てくれた方から
始めたばかりの頃の記事の写真に触れたコメントをいただいた。

こんな写真だった。

100年近くもの歴史があるという英国の代表的な園芸のイベント
チェルシー・フラワーショーの開催中に、あまりの人の多さに敷地の外れのあたりを
ふらふらとさまよっていた時に出会った光景。

ショーの会場はこんな感じでかなりの混み様。これが嫌だという人も多いのだろう、
主催者は数年前から期間中のチケット販売枚数を定めて、それ以上は決して売らないようになった。

混雑はしているのだが、日本でこういったイベントの人波にもまれたときの様な消耗は感じなかった。
なんだか他人との距離の取り方が日本とは違う感じなのだ。

歩き疲れて芝生で休んでいると、意外なほど近くにどんどん見知らぬ人が腰を降ろすのだが、
皆、何もなかったように、友人同士の会話を静かに続けて、あるいは一人でぼおっとし続けている。
後から来た人は、ごく自然ににっこりとしてすぐ近くに座り、
元から居た人も、一瞬にっこりと表情を返して、また友人との世界に戻る。
人の数の割りに、いつまでも静かだ。皆低い声で話している。

他人との共存に慣れている、とでも言うのか、
「他人は他人、でも物理的に近くに来た人には当然の挨拶をしてお互いに気持ちよく」ということか。
なんだかいいなあ、と思ったのだった。

☆☆☆

これだけ世界中の情報が溢れているのに、現実社会はどこを見渡しても日本人ばかり
というこの国の風景は、やはり特殊なんだろう。
見た目が他の人と変わってる、というだけで善し悪しに関係なくトピックになってしまって。
目立てば勝ち、とばかりに恥ずかしい格好や音を発してみたり
面倒な人は「みんなと同じ生き方を」「なるべく目立って叩かれないように」なんて思ってしまう。
我慢してるんだ、という勝手に抱え込んだストレスを「違う人達」にぶつけて発散する。
同じような見た目なのに、知人以外は人間ではないような無視の仕方をする。
そんなサイクルが少しずつ広がっているような感じがする。

イギリスだけじゃなく、中米も、南米も、東南アジアも、ドイツも、スイスも、アメリカも
何処もいろんな発見があって、自分はまだまだ阿呆だなあと思って楽しんできた。
帰ってくる度に,暮らしていくのが楽になってきたような気がする。

どんな理由でもいいから、一度はこの国の外に出てみるべきだ、と思うのです。





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薔薇より綺麗な私。

褒め言葉として聞いてくれますか?上の写真、とても不思議な感じがします……何だか、人が皆、置いてある人形みたいに見えます(笑)

僕の場合、外国でのいい想い出の殆どが、人との関わりなんです。harryさんの仰る通り、キーワードは「挨拶」ですね。声にこそ出さなくても目が合うと「ハーイ」とか「ボンジュール」とか(これくらいは唇が読めますもんね)軽く会釈してうなずいたりニッコリしたり。見ず知らずの人と挨拶する不思議な感じ……でも、それがとても心地良いんです。少し前、パリに一ヶ月滞在した時、アパートの最上階を借りたんですが、一階まで階段を下りる間に、何と、5回も「ボンジュール」したことがあります(笑)勿論、「他人は他人」なんですけど、何て言うのかな……お互いを尊重している感じがしますね。

毎年5月の「国際バラ〜」で押し合いへし合い、ガンガンぶつかって来て謝りもしない輩……こんな連中が本当に花が好きなのかしら?と、疑問に思いますが、そんな時、フと、異国の人々の暖かい眼差しを思い出してしまいます……。
by 薔薇より綺麗な私。 (2005-07-21 01:08) 

nori_blog

愛が必要なのです。きっと。
by nori_blog (2005-07-21 01:51) 

yoshi

あのコメントした本人です。(爆)

『日本人が劣化?』
雑誌の車内広告で見ました。
『ぶつかっても謝らず、狂う日本人の体感距離』だそうだ。

そういえば、最近の電車内って、ちょっと異様です。
車内一列皆が、携帯の画面に見入ってることは、
今や不思議ではない景色です。
メールしてる人。携帯電話の中のゲームをしている人。
車内、横一列が皆、同じ動作をしています。
アジアの中でも、車内の携帯は当たり前になったいるけど、
こんな光景は、ちょっと異常である。

皆、自分だけの世界に、閉じこもっているようにみえます。
皆、外界との接触を、拒んでいるようにもみえます。

朝の通勤電車内で、人前でも平気で化粧をするオンナたち。
コンビの前でたむろし、地べた座りをして騒ぐ若者たち。
嫌煙区域で平気でポイ捨てする、中年オヤジたち。

悲しいかな、本当に”日本人が劣化”
し始めているのかも知れない。

あの写真に何故か共感?できたのは、此れとは全く”逆の世界”
をあの写真から感じたからかも知れません。
謝謝!!
by yoshi (2005-07-21 07:45) 

ccq

まあ,他人の領分を侵したくないという奥ゆかしさだとも思いたいですがね...
いいところもいっぱいある国なんだけどなあ。
by ccq (2005-07-21 09:23) 

ねこにん

なんだかこの写真(一枚目)、心が和みますねぇ・・。
日本人には無い精神的な距離感が草させているんでしょうね。
by ねこにん (2005-07-21 09:42) 

barbie

こういう事はエレベーターの中でも感じます。ほんの一時、狭い空間を共有する。外国では目が合うと必ず挨拶。日本ではしら〜っとした感じですね。降りる時も降り口に突っ立ってても知らん顔してる人。またそれを押しのけるようにして降りる人・・・息子が小学生の頃ですが、海外では踏まれたり押しつぶされそうになることはなかったですが、「成田に着くとむっちゃ疲れるわ〜」って言ってたのを覚えてます。子供心にも何か殺気を感じてたんでしょうね。
by barbie (2005-07-21 10:13) 

FTドルフィン

共感します。
写真の光景は
絶対日本じゃ感じませんね
以前、ヨーロッパに行ったとき感じたのは
“大人の社会”だなぁ〜という事
私は通勤で電車に長時間乗るのですが
昔は確かにあった、
日本人の気配り、遠慮、察する心はどこにいったのかと
思う今日この頃です。
by FTドルフィン (2005-07-21 22:38) 

harry

☆薔薇より綺麗な私。さん、挨拶ひとつで一日を気持ちよく始められるのだから
自然にそうしていたいと思うもの、ですよね。自分も気持ちいいし。
見知らぬ貴方の気分を害する権利は私にはない、というごく当たり前の意識があれば、もっと何処でも、誰とでも、気持ちよく過せる筈なんですけどね。
そういう空気を発していたい、なんて思ったりもします。

☆Noriさん、そうなんですよね、きっと。
 愛されなかったことが、だんだん出てきてしまうのかなあ。
 全国のお父さん&お母さん!お子さんをもっと愛しましょう!なんて。

☆yoshiさんのコメントであの写真を撮ったときの気分を思い出してみました。
できることなら、「こんなに酷い!」と書くよりは「こんなに素敵だ!」ということを書きたいと思っています。でも、最近はどこか本当におかしいんじゃないかと思うことが多いですね。
でも、正面から「貴方のその行いはおかしい」と言われて気持ちのいい人はいません。どうしたらその人は変われるのか、そう考えると難しいですね。
見知らぬ文化に触れて過ごしてみる、というのはそういう意味でかなりインパクトがあるんじゃないかと思っています。
コメント、ありがとうございました。

☆ccqさん、日本好きですよ(笑
 嫌なら私が出て行かなきゃ、だし。
 でも、もうちょっと空気が変われば、もっと好きになれるのになあ、って。
 そんな感じです。

☆ねこにんさん、今晩は♪
 ね、なんかいいでしょ。一人で郊外に出掛けても、なかなか落ち着く国ですね。
 いつかは現地調達でバイク旅行したいのです。
 食べ物のハズレがやたらと多いのはムムム...なんだけど。

☆barbieさん、子供の頃に海外を体験するとモノの見方も変わるんでしょうね。
中米では日本人や中国人が結構嫌われていたので、2年ぶりに帰ってきた時に満員電車を見て「おいおい、この車両丸ごと焼き討ちにあうんじゃないか!?」と訳もなくハラハラしたのを覚えてます。
普通だと思っているだけで、実は普通じゃないってことがわからなくなるのって、怖いことですね。その点、彼はその後も素敵な体験をしてるんじゃないでしょうか。パワフルな母から学ぶこと多し、ですよ(笑

☆FTドルフィンさん、ね、こうなったらみんなもっと自由勝手にバイクや自転車で通勤して、結果が出たらすぐ退社!にするべきですね(笑
でも、冗談じゃなくて、満員電車で我慢して始まる一日って、辛過ぎるんじゃないでしょうか。堪え性がない私はもう脱落してます。
心にゆとりを持って暮らせる範囲で生きてゆきたいなあ、と。
by harry (2005-07-21 23:56) 

グッドウッドもこんな感じなんでしょうな~(遠い目)
なんかサーキットの自由席を思わせる並びでもあります。(笑)

yoshiさんの仰ることも分かります。現在では少なくなった列車のボックスシートと呼ばれる向き合い直角椅子での他人との接し方の差にも出てくると思います。
harryさんの画像もEXPOとかで見れそうなんですが、国内で圧倒的に違うのは何かしらの仕切りがある、ということだと思います。それはベンチの凹凸だったり屋根だったり…人工的もしくは限定空間的な仕切りを求めたがるのが現代日本人のような気がします。何でもかんでも個別に提供され特化される時代、シェアする楽しさを抜かしてるような…。云わばどこでもアパートメント。。。
by (2005-07-22 01:15) 

knacke

違う国の文化や環境にふれるコトは、とてもいい経験になりますよね。
自国の嫌なところも見えるけれど、いいトコロもたくさん見えます。
その反対で、行った国の嫌なところもいいトコロも見えます。
大切なのは、いろんな暮らしや文化、考え方や宗教などなど、
いろいろあることを知る事、そーなった理由を知る事だと思います。
by knacke (2005-07-22 13:42) 

tanuki

私が人ごみを嫌いなのは、ぶつかっても謝らない人がいたり、人との距離がかなり近いのに平気でタバコをポイ捨てする人がいたり、聞きたくもないバカ話を大声でする人がいたりと、個人個人のマナーが悪い人が多いから。
みんながみんな、周りの人に気を使い、その場の雰囲気を大切にして過ごすことができれば、もっと人ごみの中でも過ごしやすくなると思うのですが・・・
今の日本人は、「公」のスペースでも「私」としてしか居られない人間が多すぎると思います。
by tanuki (2005-07-22 21:03) 

harry

☆kenpaさん、確かにそう言われれば仕切られた個人の空間が目立つようになってきましたね。仕切ってもらわないと安心できないということか(苦笑
電車だったら、個人的には真っ平らな長椅子風シートに余計なもの何にも無し、がいいなあ。ローカル線のボックス席で見知らぬ女性と緊張しながら対面席、も捨てがたい(笑
最近のJR通勤電車の凹み付きシート+2席毎に柱、ってのはひどいですねえ。はめ込もうとされてるみたいで。俺はパーツじゃないっ!と叫びそうになります。

☆きむたこさん、ほんと、そうですね。
世の中の想像を絶する多様性を、少しでもより多く感じて、体験してみたいなあと思います。
ところで、きむたこさんの旅行記、もっと書いてくれないかなあ。なんて。いつも思ってるんですけど!アフリカも行ったことないし、ああいう「オモシロカワイイモノ」は、何処でどんな風に手に入れてるんだろう....強奪?じゃないよね(笑

☆tanukiさんと同じいらいらは私も感じるんですが。気を遣うって、別に負担じゃなくて結果として自分にも気持ちの良いこととして返ってくるはずなんですけどね。
そう考えると、「気を遣ってもらったことがない=気を遣う意味がわからない」という人が増えているのかなあ。残念無念。
こうなったら意地でも「さりげなく気を遣っていつもにっこり運動」を推進しますよ、私は(苦笑
いっしょにいかがでしょう。
by harry (2005-07-23 04:11) 

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