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美術教師としての私。 [仕事と私]

コスタリカでの仕事は、国立大学の美術学科の工芸専攻の学生及び教授達に
美術・デザイン教育の基礎を教えること、となっていた。
でも、私は美術教師の経験は教育実習以外にはない。免許もない。

ま、何とかなるだろうと採用されたのだから、何とかしよう。
脳天気&楽天的なB型らしくいくのだ。

協力隊員の任期は、新規でない場合は先代隊員と少しでも重なる期間を設けて
その間に引継ぎをして「継続的な支援活動」を目指すことになっている。
やったこと、上手くいったこと&いかなかったこと、注意すべきこと、などなど
過去の上にやるべきことの方向性を考える。悪くない方法だと思う。

先代隊員は明るい女性で、工芸、特に陶芸の専門だった。
私の場合は、継続といっても違う内容の要請なのだ。

彼女は、この国は好きだけど、もうたくさん!と感じているようだった。
"美"というものの捕らえ方が表面的過ぎて、変えようがないと。

コスタリカには綺麗な女性が多い。すぐにでもモデルになれそうな女の子がそこら中にいる。
でも、小学校の学芸会みたいな「化繊100%・ピンクのドレス」なんてのを着てたりして。
最初のうちは、もったいない、などと思っていたのだけれども
だんだん、「綺麗」というものの感じ方が違うのだなあということがわかってきた。
色、形がほとんどの判断基準で、質感やバランスなどにはあまり興味がないらしい。

他の教授の授業を参観する。
生徒の作品の講評になると、ど派手な花を紙の真ん中に描いた絵なんかが一番人気だ。
先生も「まあ、綺麗に描けてるわ、他の人もよく見てね」などという具合。
大学、という感じではない。

学生は、1年生から卒業するまで、ひたすら作品を作り続けて
皆に綺麗と褒められた学生は生き生きと制作をして
そうでなかった人は脱落していく、そんな学科。

しばらく考えて、私は2年あるのだから時間がかかっても自分の納得がいくような方法で
授業の方法を提案してみよう、と考えることにした。
まずは、「なぜ?」といつも考えてもらうことからだ。
美しいと感じるのはなぜか?綺麗だと思うのはどうしてか?
そこにはどんな基準やものさしがあるのか。
平面構成から美術用語の基礎をある程度俯瞰できるようなテキストを作って
授業のスタイルも少しでも変化してくれたらいいなあ、と。

しかし、言葉が稚拙ということが予想以上にネックだった。
言いたいことの10分の一も言葉が思い浮かばない....
毎晩のように夢の中でも言葉に詰まる。
ぐったりして、たまの休みには知らない街を散歩した。

1年生のエヴェリンは何をやってもうまくできない、と泣きながら相談に来た。
「だれも私の作ったものなんか綺麗だとは思わないわ」
「最初はそうかもね。でも、君がいいなあと思う作品はあるでしょう」
「シンティアとか?でも全然違う。どうしたらいいかわからない」
「じゃ、良いと思った時に、何が良いと思ったのか、どこが好きなのか、考えてみたら」
エヴェリンは脱落せずに2年生になった。

シンティアはウィノナ・ライダーを思わせる綺麗な子だった。
無口で、いつも黙々と手の込んだジュエリーを作っていた。
自分で選んで留年して、授業以外の時間も作品を作っている。
1年目、私を見る彼女の視線は冷ややかだった。
「訳のわからないこと話してる暇があったら、立派な作品でも作ったら?」とでもいうように。

2年目になって、すべてが少しずつ変わってきた。
シンティアとエヴェリンが工芸室で一緒に作品を作っている姿をよく見かけた。
生徒達は私の冗談に笑ってくれて、授業に出掛けるのは楽しいことになっていた。

「1年目のharryは暗かったわよ」とシンティアが茶化すように笑っている。
「でも今年になって見違えたわね!こんなおかしな人だと思わなかったもの」
任期終了を告げたあと、生徒達に誘われて出掛けたピクニックで散々からかわれた。
カタカナで「キ○ガイ」と書かれた手紙をもらった。嬉しかったな。

自然が豊かで、人々はゆったりと暮らし、軍隊はなく、
ビールを頼むと自動的に旨いツマミが出てくる国。
ひたすら働いて、神経をすり減らすことの多い東洋の島国と比べて
いったいどちらが豊かなのか、全くわからなくなった。
活動報告書のまとめに、そんなことを書いた。

ま、思い返すとそんな感じの2年間だった。
そろそろ正気に返る時期、などとは思わなかったけれども
私の任期は予定通りに終わるのだ。
「ねえ、ほんとにハポンに帰っちゃうの?」
「ああ、帰るよ」
「ひどい。笑ってるなんて.....私達のこと、もう嫌?」
「そんなことないけど...帰ってやることもあるし」
「そうなんだ...」

半分は嘘で、やるべきことは何も思い浮かばなかった。
ただ、隊員になる時に決めていたこと
- 20代は思いついたらヤミクモに、30歳になったら全く違うことをする -
その区切りが数週間後にくることになっていただけなのだ。

なんとなくマゼラン海峡を見てみたくなって、チリ・アルゼンチン行きのチケットを買ったのだった。


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コメント 10

barbie

出会いがあれば、別れがあるのは当然ですが、読んでいてちょっと涙でした。このお話の続き、マゼラン海峡編も楽しみにしています。日本人は質感やバランスにこだわる民族だと思います。四季があるから敏感なのかな~日本語に指標語が多いからかな~
by barbie (2005-03-05 01:40) 

harry

マゼラン海峡編、なんていうと青春の門みたい(笑
思い出してみたら、いろんなことがあったなあ、と。

語彙が多い分野、少ない分野が言語によって異なるというのは興味深いですね。でもスペイン語、忘れてきたなあ。どうしよう。
by harry (2005-03-05 02:43) 

ところで、

「綺麗」と「美しい」は全然ちがうことなんだと誰かに教わったのを思い出しました。でも、それらが一緒でもその分簡単で明快なことなのかもしれないし、実は健全なんでしょうか。。。
by ところで、 (2005-03-05 11:39) 

harry

情報が圧倒的にない、っていうのは、ある意味幸せなことかもしれない
と時々憧れてしまったりして。
理論には正直それほど意味はないんじゃないかと思います。円周率を知ってても円が上手に書けるわけではないし。頭の体操みたいなものですよね。
ただ、考える癖がついて自分自身の嗜好の仕組にもっと興味を持ってくれたら、という思いでやってました。いまだに良かったのかどうか、わかりません。

スペイン語のlindo/lindaは綺麗と可愛いの混ざったような感じで使われていたんですが、町中で「きゃー、なんてリンダなの!」連発です。
って、日本もその方向に向かってますね。いまごろ。
by harry (2005-03-05 12:30) 

ところで、

教える立場となるととても難しい問題ですね。
双方が何に恵まれ何を望むか。結局無いものを求めてるとした場合、harryさんが行かれたのだからそれで良かったのだと思います。な~んて偉そうに、、、失礼しました。
by ところで、 (2005-03-06 05:07) 

harry

いや、まさにその点が協力隊の大きな問題で。
相手先の望んだものでないものを押し付けて帰ってくる、
ということになってしまうことも少なくないようです。
翻って自分はどうだったのか?どうだったんだろう....。
by harry (2005-03-06 17:30) 

chameko

こんにちは。
久しぶりに訪れてみたらharryさん自身のお話が書いてあったので興味深く拝読しました。
harryさんには尋常ならざるセンスを感じていましたので、ちょっと納得。
私のように日々重箱の隅をつついて何かを探している人間とは正反対に、世界を飛び回って何かを探してる方だったんですね。
ご本人にとっては紆余曲折、熟考されてのことと思いますが、harryさんの経験談は読む者に軽やかなフットワークの小気味よさを与えているはずです。
どんどん書いてください。
ブログ上とはいえ、そういう方とお知り合いになれて嬉しいです。
私などが言うのもお恥ずかしいですが、私は人生ってほんとにいろんなことがあるけど、無駄なことは何一つないな、といつも感じているのです。
harryさんのブログを読んで、あなたの人生もまたそうなのではないか、と思いました。
ちょっと分かったようなことを言って失礼いたしました。
by chameko (2005-03-08 09:40) 

harry

茶眼子さん、こんにちは。
元気の出るコメント、ありがとうございます。

何を考えてこういう仕事をしてきたのか、たまには考えて整理してみよう
などと思って書いてます。
熟考して選んできたかどうかはかなり怪しいんですけど
執着するものもあまり無いし。
自分自身も何時の間にか変化してたら面白いな、と。

また、遊びに行きますね。
by harry (2005-03-08 14:08) 

山崎正明

はじめまして。北海道の中学校美術教師山崎正明というものです。コスタリカでの教える側の率直な感じ方を読み、新たな角度から美術教育について考えてみることができました。いろいろと光景を想像しながら楽しく読ませていただきました。
http://yumemasa.exblog.jp/
by 山崎正明 (2005-04-02 17:54) 

harry

山崎さん、今晩は。お越しいただいてありがとうございます。
教師として素人の私の経験がどういうことだったのか、いまだに自分でもよく消化できてません。2年でどうこうというのは余りにも短いですね。
土曜日も仕事をしていて、先程帰ってきました。今度ゆっくりお邪魔しますね。
by harry (2005-04-03 00:31) 

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